豊前善光寺
 

 豊前善光寺は、宇佐市大字下時枝にあり、信州、甲斐の善光寺と共に日本三大善光寺の一つと称されています。正式には「梵天山 法性院 善光寺(ぼんてんざん ほっしょういん ぜんこうじ)」と号し、平安時代の天徳2年(958)、踊り念仏の祖「空也上人」が、信州善光寺の尊像を随伴護持して下向し、宇佐八幡のお告げにより、この地に建立したと伝えられています。他の「善光寺」と区分するため「豊前善光寺」「芝原善光寺」と呼ばれています。最初は天台宗でしたが、現在では「浄土宗」に属しています。JR日豊本線豊前善光寺駅がありますが、バスの便が悪いのでタクシーを利用した方が良いでしょう。

 時枝領について  

 江戸時代、宇佐地方は「小藩分立」そのもので、5つに分割されていました。豊前善光寺のある時枝は、元禄11年(1698)中津城主 小笠原氏の失政と乱行による領地没収後、その弟「小笠原長宥(ながます)」に時枝村その他で 5.000石が与えられ旗本となりました。領地は、上元重村 下元重村 上時枝村 下時枝村 猿渡村 末村 荒木村 山下村 中村 山袋村 木部村 黒村 上秣(まくさ)村 下秣村 西秣村 となっており、実高は、大名クラスの10.000石ほどあったと言われています。なお、時枝小笠原氏は幕末まで続きました。
 豊前善光寺は、歴代領主から寺領安堵状を交付されていましたが、領主は大名でないので参勤交代の必要がなく、ずっと江戸におったきりで、時枝には来なかったそうです。

 宇佐神宮大的式について

 小笠原氏は新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ=八幡太郎義家の弟)の後裔で、弓馬の作法を伝承しており、「小笠原流礼法」の祖となりました。宇佐神宮では、毎年12月上旬「蟇目の儀(ひきめのぎ)」と「大的式(おおまとしき)」が行われています。蟇目とは、矢の先に付けた蟇目鏑(ひきめかぶら)の事で、木を挽いて削るので引目と言い、またその形が蟇蛙の目に似ていることから、その矢の鳴る音が蟇蛙の声に似ていることから、このように名付けられました。風を切り、音を発することより魔障を退散させると言われています。
 詳しくはこちらへどうぞ  http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/index.html

 本堂は 重要文化財に指定されています。  山門・灯籠・橋
 本堂東側の芝原旧跡 空也上人の納骨五輪塔 があります。吉野朝時代建立
 
 善光寺参道 芽豆羅(めずら)保育園の前から続いています。
善光寺灯籠

 善光寺手前2.5キロ程のところ(JAおおいたSS四日市給油所前)にあります。
 表には「国寶 善光寺」裏には「昭和12年9月謹建立 念佛翁 乙搭g次郎宇佐公信」とあります。
 実はこの灯籠には、幼い頃の思い出が・・・詳しくは「ひとりごつ」のコーナー  2010.04.13 にどうぞ!
 芽豆羅保育園に隣接する 旗本時枝領 陣屋跡
 芽豆羅保育園に隣接する 旗本時枝領 陣屋跡 JR日豊本線豊前善光寺駅

 昭和40年代、汽車が着くと「豊前善光寺・豊前善光寺・豊州線乗り換え〜・豊州線乗り換え〜」と案内をしていました。昭和20年代の終わりには廃止されていた豊州線でしたが、宇佐市院内町にあった円座駅(バスの発着所)では、ちゃんと汽車の乗車券も発売していました。 

 大分交通豊州線(日出生鉄道・豊州鉄道) 日豊本線豊前善光寺駅〜豊前二日市駅間 15.53q 軌間:762mm(黒部峡谷鉄道と同じ)
 昭和26年10月14日のルース台風で拝田〜三又川間の第2駅館川橋梁(白岩鉄橋 83.30m)の橋脚が倒壊し全線休止、その後そのまま廃止。



 

 屋上に掲げられていた 大鬼瓦(県指定文化財)
 写真は 「豊前芝原善光寺由緒書」 から頂きました。
 この大鬼瓦をデザインした菓子が宇佐市四日市の名物の一つです。

 地名の解説
 時枝村(江戸時代)→糸口村大字下時枝→四日市町大字下時枝→宇佐市大字下時枝 




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