宇佐市院内町の香下神社

 香下神社は、香下妙見宮と呼ばれており、養老3年(719)法蓮和尚が和尚(かしょう)山にある座禅石で修行していた時に、妙見山上に妙見大菩薩の
瑞光(尊い光)を感じて、妙見山上に妙見大権現宮を祀ったのが始まりと伝えられています。
 その後宝永元年(1704)に香下村の有志が、妙見山の中腹に遷宮しました。現在の社殿の左側に石畳の参道があり、200メートルほど上って行くと
神殿の跡が残っています。私が子供の頃は小さな社殿が残っており、「椎の実」をひらいに行っていました。
(もちろん食べるためで、生で食べても腹痛などはおこしませんでした。昔の子供は色々な物を食べて育ったのです。)
 しかし、現在社殿ははありません。山水で流されたのかなあ?途中にも申し殿の跡みたいな所も残っています。

 社名が変わった理由には、明治新政府により出された神仏分離令(神仏判然令)の影響があったのかもしれませんね。なんたって明治の世は天皇が中心であり、天皇は神様の子孫ですから、「香下妙見宮」とは呼びにくくなったのかもしれません。現在では神仏混淆の名残でもある梵鐘も掲げられています。

 祭神は 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)=妙見大菩薩=八百万神に先駆け、最初に高天原に現れた神
     高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
     神産巣日神(かみむすひのかみ)
 で、いわゆる「造化三神(ぞうかさんしん)」をお祀りしています。その後、北斗信仰、仏教の妙見信仰と習合していったと考えられています。
 
 現社殿は、大正4年(1815)年に神殿、社務所を新築、申殿は山神社の拝殿等を移築したそうです。(参考 昭和58年11月発行 院内町誌)
 大正3年には旧新洞村の山神社を合祀しており、氏子は、香下地区と新洞地区の方々です。

 香下神社は東九州自動車道(宇佐別府道路)院内インターの直ぐ前にあります。北九州方面の方は、宇佐インターで降りて、国道387号経由でおいでください。
 院内インターは大分方向のみのハーフインターなもので(-_-;) 北九州方面も作ってくれないかなあ。ETC専用でもいいんだけどなあ!

 祭 典 

 
   4月の第1日曜日     春祭り(大祭) 11.00〜  
   7月 ?日          願成就祭(小祭) 日時は大字が決める
  10月の第3日曜日      秋祭り(大祭) 11.00〜
  12月の第3日曜日      新嘗祭(大祭) 11.00〜
  12月 31日          除夜祭(中祭) 23.30〜
   1月 1日          歳旦祭(中祭)  0.00〜
 

雪景色の香下神社
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「神を愛し、古里を愛し、人を愛す」と説明板の前ににありました。
はるか昔これと同じような看板を見かけました。「雨ふれは雨を愛し、風吹けば風を愛そう、我人と共にあればこそ、また幸せなり」
H22.12.26 の門松作り、大しめ縄作り等に取りかかる前の打ち合わせ
真ん中の後ろ向きが、組長(つまり私)です。
 大しめ縄の作成。餅ワラが異常に短かったので、一本一本別に作りました。中に針金を通し、左ねじりした後は直ぐ糸で巻きました。最初は小さく、中は大きく、尻っぽはすらっと小さくします。大きさがなかなか一定しないのです。(-_-;) 昔はワラだけで2本をねじりあわせ、後で残りの1本を加えながら作成しました。ワラだけで! 餅米のワラは長くて、遅く刈り取られるため、色合いがよいので使われてきましたが、最近は刈り取りに処理しやすいよう、丈の短い品質が好まれています。その上機械で刈るので、異様に短くなります。本当は手刈りして、掛け乾しにすると良いそうだが、そんなこととはつゆ知らず、材料集めから失敗したようで、作成に手間がかかりました。
完成した門松 神社に向かって左側 (H23.01.02撮影)
松とか梅とかが少し大きすぎたのかもしれない。
形を整えるために、中にはタイヤを使用しています。
この門松も1月15日の小雨の中、撤去されました。
完成した門松 神社に向かって右側 (H23.01.02撮影)
門松に使用する砂は、昔は川砂だけでしたが、最近は見栄えをよくするため、真っ白の小石「寒水石」を上に置きます。
H22.12.31 祭典の下準備に、てんてこ舞いの組長(右端)
ズボンの下には股引(ももひき)を2枚はいて、上は、オバサンが着る下着、つまり「ババシャツ」を着て防寒対策。丸々と太りました。
おじんが着ても「ババシャツ」とは、これいかに!(呼び名が悪いよね)
祭り組のハッピを着て、昇殿参拝をする組長。
吹きさらしの中、除夜祭 25分+歳旦祭 25分 合計50分 
風邪引きそう。真ん中の赤い毛氈の上は、神様が通るところです。
お参りした方は、「福ザサ」をもらって帰ります。福ザサは「香下妙見宮」となっています。早めにお参りした方は、氏子さんが奉納した菓子もあります。(H23.01.02) おみくじ(1枚 50円)もあります。(H23.01.02)
香下神社全景 真ん中の大きな木の向こうに社殿があります。(H23.01.02) 香下神社全景 右端は東九州自動車道(宇佐別府道路)院内インター出入り口
雪や霧で直ぐ通行止めになります。(H23.01.02)

 さあ今度は4月3日の「春の大祭」。この時は神楽が奉納されます。神楽社の食事の接待(昼食・夕食・中間食2回)や、神社役員の直会等で、女性軍が大忙しです。祭り組の当番組長は例年「餅神楽」を奉納しています。「紅白の丸い小餅」と「菓子」が、「小さく切ったワラ」と共にまかれます。
 香下神社は桜の名所です。春の大祭の様子と共に紹介することにします。


 H24年 春季大祭

 香下神社の平成24年春季大祭が、4月1日(日)に開催されました。開催日が4月の第1日曜日となっていますので、例年より少し早めです。
 今年は寒かったので桜はまだ咲いていません。

「神迎」 神様を迎え、送る神楽です。庭神楽・坪神楽とも言われます。 「神迎」 鬼も飛んだり跳ねたりと激しい神楽です。鬼が子供を追いかけるので、小さな子供は怖がります。
御子舞 「みこまい」と呼ばれ、厄払いの神楽です。孫のために奉納しました。 大蛇退治 高天原を追放された素戔嗚尊が、出雲の国の住民を苦しめていた「八岐の大蛇」を退治して、大蛇の尻尾から「天叢雲の剣=草薙の剣」が出てきました。子孫繁栄の神楽です。
 大蛇退治(左)

 神楽は、午後1時頃から12時頃まで続きます。神楽社の人も祭組の人も「翌日(月曜日)勤めがあるので、早めに切り上げてほしい。」との要望もあります。昔は午前2時すぎまで舞っていました。
 実は神楽の最後に一番大事な神楽「岩戸神楽」があります。その時は祭組当番の氏子と2〜3人の神社役員さんしかいません。お客さんは誰もいないのです。「うう・・・ん」どうしたらいいんだろう?
 今年は、夜に宇佐市長さんも参拝され盛り上がりました。


令和元年12月香下神社除夜祭・歳旦祭準備

今年の飾り付けなかなか格好良く出来ました。


R4年4月25日 香下神社の藤の花

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