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天福寺奥の院

 天福寺奥の院(てんぷくじおくのいん)は、宇佐市大字黒地区の山の中腹にあります。
 岩屋には天平時代の作風を示す塑造(そぞう=粘土製)の三尊仏以外に、平安時代前期の作とみられる60数体にのぼる木彫仏群が伝わっています。
 狭い岩屋の中で、これ程大量の仏像が祀られていたとは考えづらく、廃寺となった他の寺から持ち込まれたのだろうと思われます。
 
 現在「塑造の三尊仏」と、ある程度原型をとどめている「木彫仏」は、宇佐市にある大分県立歴史博物館の「免震装置」の上で展示されています。

 天福寺奥の院 全景 格子戸の中に本尊の不動坐像と壊れかけた一木造りの仏像があります。(24.05.05)  奥の院正面の説明板
 本尊の不動坐像  壊れた仏像
 写っていないところと、反対側の部屋にもかなりの壊れかけた仏像があります。


大分県立歴史博物館で保存している三尊仏等
 
 (平成10年10月10日発行の常設展示図録 豊の国・おおいたの歴史と文化−くらしと祈り−から頂きました。)

 本尊の如来座像1躯と菩薩立像2躯からなります。

 仏像は、木で作られた物や、切り出した石を刻んで作ったもの、銅などの鋳造物に鍍金したもの等があります。
 しかし、十字にに組んだ心木に荒縄を巻き、スサまじりの粘土を盛りつけして作られたこのような仏像は、制作年代の古い初期の仏像です。
 三尊仏は地震の横揺れを軽減する「免震装置」を組み込んだ展示台の上に乗っています。
 
 如来立像(にょらいりゅうぞう) お釈迦様をモデルとした仏像です。頭髪には渦を巻いた螺髪(らほつ)に作られます。いわゆる「天然パーマ」だな。足の裏が平らで、大地に立つと地と足の間にすき間がないそうです。扁平足?誰かの足ににている・・・  菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)左肩から右脇腹にかけて布が巻かれます。仏の知恵を求める人。自ら仏になる資格を持ちながら、他を救うために菩薩の地位にとどまり、努力を続ける人。


天福寺奥の院への道(平成24.5.5)

 入り口が分かりづらいのです。県道44号宇佐本耶馬渓線を宇佐市四日市方面から入り、伊呂波川に掛かる岩鼻橋を渡ります。そこから県道660号山袋・久々姥線に入り少し中津方面にバックしたところに看板があります。
 新しく作られた林道を50メートルほど上ると駐車場があります。目を凝らすと小さな登り口の表示石があります。
 50年位前にお参りしたことがあったが、こんなに急だったとは思わなかった。途中で2−3回休んだ。
 ようやく着いた。ふう〜、もう年だ。天福寺奥の院 全景  「天福寺奥の院」からの展望 正面は、鬼落山(576) 鬼落山の向こう側が香下ダム上流部です。



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